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42話に、驚愕

どうも、「かざみわし」狩谷亮裕です。
今回は考察でもなんでもなく、ただただ仮面ライダーゼロワン42話に驚いたので、ちょっと感想というか、思ったことをまとめておく程度に。

ネットやYoutubeの考察動画等見ても、かなりアークワンの正体が、主人公飛電或人だった という事実に予想できなかった と驚愕している人も多く、中には「残り3話にして主人公が悪堕ちするなんて。どう話をまとまらせるの?」と心配の声もあります。

これは今年の特例ですが、コロナウィルスの影響でゼロワンの夏映画が延期になっているため、無理やり次の仮面ライダーであるセイバーと共演させなくていいと考えると、映画用にストーリーを考えたり温存しておく必要もない というところから、ゼロワンBATEND説もチラホラ…。

以前、飛電家の墓参りのシーンにて、飛電家の人間の没年が新○○年となっていておかしい という考察も飛び交った時期がありましたが、単なるドラマ上の設定でない、何かの意味があるとするならば、去年の仮面ライダージオウに登場した逢魔降臨歴のように、この物語自体、我々の世界でいうところの平家物語のような歴史上の物語であり、ゼロワンの世界線では、飛電或人がいた時代も過去の逸話や寓話になっているとするならば…。

ちょうどゼロワンの40話でも、ゼロツー誕生のため、或人がイズにさせたシミュレーション映像をほぼ30分丸々ループするかたちの構成であり、ナニかがおかしいと思いながらも、放送が終わってからすぐに録画映像を見直さなければ、これがシミュレーション映像であると気づきませんでしたし、どこからがシミュレーションで、どこまでが現実に起こっていることなのか? その境界については私自身、正直まだあいまいです。

42話でも冒頭で、アークが描いたシミュレーションをイズとアズがみている という設定でしたが、滅がアークワンに変身する以外、間違ってはいない、高性能なシミュレーションでした。
私たち視聴者は、2度、試されているわけで。これは現実に或人たちの身に起こっている事象なのかシミュレーションなのか?はたまた、過去の回想話なのか?いろいろな可能性を念頭において残り3話、見届けたいと思います。
それでは、今日はこの辺で。
~風の向くまま。気の向くままに~

P・S

 

また、ゼロワンのこれまでの強化ルートを辿って行くと、ゼアの端末である通常形態→アークの力を使うことを想定して作られたシャイニングホッパー→アークの要素が合わさったシャイニングアサルトホッパー→アークの技術で作られたメタルクラスタホッパーとなり、強化されるごとにアークの要素が強まっている。
その果てに、自らがアークワンへと行き着いたことから、これらの強化過程が実は前々から張られていた伏線だったとも考えられる。https://dic.pixiv.net/a/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%83%B3 より

ピクシブにこのように書かれていたのですが、思わず唸ってしまった。
飛電或人よ。人間は善意だけでは生きられない。純粋なだけでは、生き抜いてはいけない。
自分たちが生きているこの世界は、薄汚い欲望やら、悪意やら。見たくないものも、大いに存在する。それらから己が身を守るためにどうするか?成長し、様々なことを学び、そして己を汚していく。他人を陥れるためではなく、己の優越に浸るわけでもなく、自分の身近に潜み、蔓延る悪意から己を守るために。悪意を『敵』と仮定するならば、『敵』を知るために『敵』と同じ力を自身で用いてみる。敵を倒すために、まず敵を知れ。ということだ。

最後に難しい哲学チックなことになってしまいましたが、要するに『光も闇も』、『善意も悪意』も。アンビバレンス(二つ以上の異なる感情や価値観)など、常に抱き続けながら。相反する感情やモノを一通り吸収して『純』ではなく、『不純』。ごちゃまぜになってようやく、一人の人間としての器が完成し、独立できる。ということ。
アークワンとしての己の心の悪意から、解放されたとき、君がどんな決断をし、どんな未来が待ち受けているのか?似た者同士の感情を抱くものとして、ソノ結末、汝とともに見届けよう。