考察

仮面ライダーセイバー第3話感想

どうも、「かざみわし」狩谷亮裕です。
仮面ライダーセイバー第3話。放送されましたね。今回もその感想と考察を少し書いていきたいと思います。

先の大戦を知る土の剣士は最強の”子育て王”

第3話では、土の剣士、仮面ライダーバスターが登場しました。自らを「最強の剣士」と豪語するほどの実力は伊達ではなく、序盤の再登場したゴーレムメギド、そして終盤のハンザキメギドをともに変身後小競り合いなどなしに、必殺技で一刀両断する。文字通り一撃必殺。必殺技名にもなっている、『大断断(だいだんだん)』。大きく敵を切り裂き、場合によっては味方さえも切り裂く。この字でまちがいないかな と思いました。

そんな仮面ライダーバスター・尾上亮の特筆すべきは『子連れライダー』であること。
番組放送前から言われていたことで、父親ライダーというのは番組通して珍しいことではありませんが、子どもを連れているイケメンならぬ”イクメン”ライダーというのは番組初だそうです。イクメンという言葉が叫ばれだしてからしばらく。ついに仮面ライダーとして”イクメン”が登場する日がこようとは。時代の流れを感じます。

この作品。今の仮面ライダーセイバーである飛羽真から見ると一世代前。つまり先代のライダーたちが戦っていた時代があります。セイバーももともとは先代の炎の剣士が纏っていたわけで、彼からまだ幼かった飛羽真に授けられた形です。

「なんだか戦隊っぽい」という意見は1話の時点からインターネット上でも見受けられ私もそう思いますが、私はとりわけリュウソウジャーっぽいなと思います。この作品も現代の騎士たちと彼らの師匠役であった、マスターレッドなどマスター○○という先代の竜騎士と、彼らの意思を受け継いで戦う現代の騎士という構図。
話を戻しまして、これらの作品に共通するのは”世代”というものが物語通してのキーワードになるということ。過去から活躍している(いた)人物と現代の剣士たち。彼らの世代をこえて紡がれる物語に今後も注目してみていきたいと思います。

飛羽真≒タッセル!?
~突然の酷似発言にビックリしました~

飛羽真≒タッセルと聞いて頭の中に?がいっぱい浮かんだ方も多いと思います。
私も、3話のワンシーンだけで考察していくので、まだ情報が少なく、考察というより推測に近いものですし、たぶん、違うと思います。と前置きしたうえで書いていきます。

私がこの疑念を抱いたのは、3話の「ノーザンベースは本しかなくてつまらない」と言った尾上そらに対して飛羽真が続けたセリフにありました。彼が何と言ったかといいますと、
「もったいない。本の世界って、ほんっとにほんっとに面白いんだよ!」。このセリフ、どこかで聞いたなぁ と思って見返すと、第1話でタッセルが私たち視聴者に向けても同じような発言をしていました。

「突然ですが、本って、本当にスゴいですよね~」と。もちろん発言している人物が違うのですから、ノリやテンション。「本って」に対して「本の世界って」。タッセルの「スゴい」に対して飛羽真の「面白い」など若干の違いはありますが、本と本当(あるいはほんっとうに)とダジャレのように言葉をひっかけて遊んでいるように見えるのは二人とも同じ。そして二人とも本や物語のことになると、周りが見えなくなって、子どものように夢中にしゃべる。この無邪気さも共通。

何よりこの二人が言った二つのセリフの本質とでもいいますか。二人とも言い回しが違うだけで、同じこと・モノを捉えて伝えている気がしてなりません。

そこで気になったのが、タッセルのキャラクター紹介文。このなかに、
のちにライダーに変身するのか、それとも悪役なのか、誰かの「成れの果て」なのか。と意味深すぎる言葉がしっかりと刻まれています。しかも公式に です。
https://www.tv-asahi.co.jp/saber/news/0003/

私はこの「成れの果て」という言葉に注目して、3話の発言から飛羽真の成れの果てがタッセルではないかと考えています。

ファンの間ではすでに「仮面ライダーセイバーの物語自体、タッセルによって語られた(つくられた)物語ではないか?」という説が飛び交っていますが、それに近い考察です。

まず飛羽真の失われた15年前の記憶。その中でおぼろに覚えているものとして、一緒に遊んでいた仲良しの女の子を助けることができなかったという記憶。女の子は映像の描写を見る限り異世界=ワンダーワールドに飛ばされましたが、飛羽真はその時セイバーだった先代の炎の剣士に救われ、瀕死の状態の中彼からブレイブドラゴンのワンダーライドブックを授かりました。(本人は覚えていませんが)

ここから考察なんですが、例えばこの一連の事件の際、先代の炎の剣士も気づいていなかったが、飛羽真も異世界に飛ばされていた。しかし、メギド達が世界を作り替えようとしているので、もともとそこにあった世界(現実の世界)と新たに作り出そうとしている世界との間に歪みが生じ、まだ完全に世界が作り替えられていないことにより、二つの世界のゆがみのはざまに飛羽真はいた。先代の炎の剣士が”人間の”飛羽真だと思い込んでいて、今私たちが見ている飛羽真は新たに作り出された本=世界の歪みから来た虚像であり、本来の飛羽真は完全にワンダーワールドに飛ばされ、そちらに適合してタッセルとして生きている。とかどうでしょうか?

まとめ

記憶がおぼろげであるはずの飛羽真。そんな彼の活躍を我々視聴者に毎週語れるのは、語り部であるタッセル。彼こそが何もなければ今も現実の世界で生きていたはずの飛羽真本人だったから。
ワンダーワールドに飛ばされても好奇心旺盛なのは相変わらずであり、やがて自分をタッセルと名乗り始め、飛羽真として残っている記憶の部分と、あの事件の後、自分が現実の世界で飛羽真として生きていたら、自分は幼いころに見た怪人たちと不思議な世界を元に戻すために剣士として戦っているんだろうなぁ…。と妄想全開で書いた物語が、私たちが毎週日曜日にみている「仮面ライダーセイバー」である という結末。

今私たちがみている飛羽真は、ワンダーワールドのどこかで執筆活動に励む、あちらの世界でタッセルとして生きている飛羽真の「もし、自分があの事件の後も人間として生きていたら」というIF物語で、自著の中なので登場人物たちの結末や物語の展開などは、書き手である”もう一人の飛羽真”=タッセルが思いのままに操作できる。←物語の結末は、俺が決める!の真の意味?

まだまだ3話の飛羽真の発言と、1話のタッセルの発言。そして公式の「成れの果て」という文章。これだけでの考察ですので、推測の域は出ません。
ですがもし、この考察通りで飛羽真とタッセルが上記のような間柄ならば、飛羽真は自分を主人公とした創作物語の中でも、小説家として「ロストメモリー」という本を書いて出版しているということになります。飛羽真。君はどれだけ本や物語を書くことが好きなんだ。

もしかすると、「ロストメモリー」という作品で売れっ子作家の仲間入りを果たした という事象自体が仮面ライダーセイバーの物語の核心を突く重要なポイントであり、視聴者に対する何かのメッセージなのかもしれません。

3話の考察ポイントとして、もうひとつ書くつもりでしたが、長くなってきたので、仮面ライダーカリバーについての賢人とソフィアの会話については、次回4話でカリバー・メギドサイドに大きく動きがありそうですので、それを見終えてからということにします。
それでは、今日はこの辺で。
~風の向くまま。気の向くままに~