考察

鬼滅の刃 童魔・しのぶに見る 高く豊かな感受性に生きるということ

★googlenotebookLM翻訳用:この記事内での『童魔』の読みはすべて『どうま』と読む★

鬼滅の刃の童魔。下記の動画はファンメイドで作られた高精度な代物なわけだけど。
これらの動画を見ていると、上弦の弐 童魔の並々ならぬ感性の高さにおどろかされる。

人間時代の哀しい出来事もあり、性格的にはかなりのサイコパスといわれるほど。たしかに感情の共感能力や感受性の意味では皆無だが、感情を感じられないなら感じられないでそれなりに取り繕ってやりすごす瞬時の判断能力は凄いものであるし、(その結果としてナチュラル煽りのように取られやすいという大きな欠点を除けば大体感情の演技は合っている)第一、「肺に血が入ってゴロゴロ音がしてる」、カナヲとの戦いの最中に、肩や視線、つま先などの僅かな動きから、相手(カナヲ)が自分の次の動作予測が出来ていることから、直感・瞬発的に『この子は目が特殊だ』と見抜いて戦いの中で先に目潰しへと動く作戦に切り替えたり。(→実際この判断も正解)
それだけでなく、「その刀。鞘にしまうときの”音”が特殊だね。そこで毒の調合をかえているのかな」など音=耳での感性・感度もかなりの一級品である。

言うまでもなくしのぶやカナヲと童魔は因縁の相手であるし、作中でも意図した対比のシーン構成が描かれているのは、私から言うまでもない。胡蝶しのぶ。彼女はどちらかというと、(家族を鬼によって殺されているから感情が入ってしまうのも無理はないがそれ抜きにしても)どちらかというと理性>感情 のタイプ。だが、

童魔は彼女とは逆で理性<感情 とどちらかと言えば評価できる。
そして、童魔は上述の「肺に血が入ってゴロゴロ音がしてる」にも分かるように、相手の事を検査機器などにかけずとも。ある程度パッと見の見た目と雰囲気で(しかもそれなりに正確に)判断ができる。そして両者共に共通するのは、(その当時の最新の)医学に精通しているということである。展開としては童魔=鬼側が駆逐・撃退される結末をたどったが、少しでも歯車が違えば、この両者は良きパートナーとなり得ていたのかもしれない…。

※現代の人間は、過去のデータや実績を重視するあまり、童魔のような高い感(受)性を持っている人も少なくなったし、持とう・鍛えよう。あるいは自分のその能力を伸ばそうとする者も激減したように思う。しのぶのような医者にしても、誰にしても、自分の知っている範囲や事象についてのみ知見を述べたり可能性を探求したりするが、自身の専門外のことや自分の考えが今目の前にいる人にあてはまらず。それでもそのクライアントは自分に意見や解決策を求めてきている場合に、自分の知らない可能性や、自分たちの知っている・持っている人脈以外の専門家に自分から繋がり、今・目の前にいるこの人のために新たな知見を得よう。と考えることは無駄や手間だと考え、回り道となるような選択肢は取らないでいる。そういう者が多くなったな。とどうしても感じてしまう。

私自身も日々を生きる中でそうならないよう努めるのはもちろん、これからの・一度きりの人生において、仕事でも。プライベートでも。童魔のような高く、ときには的を射た鋭い感(受)性を持つ者と出逢い、交友を深めて行きたいと切に感じるのである。※以後は、筆者個人の感想を多分に含む。